題・リリィ










僕は何の為に有りますか?

リリィが聞いたその問いは今でも私の中で回り続ける。
螺子がぶっ飛んで壊れたレコードの様に。
反復してリバースし続ける。

僕は何の為に有りますか?

何かの為だよリリィ。
湯気の立つスープとか、真っ白いシーツとか、エプロンの可愛いアップリケとか。
下らないけど、何か尊い暖かいモノの為に君は居るんだ。
確実に君はその為に有ったんだ。

答えを、私は君に伝えられただろうか。

リリィというのは本当の名前では無い。
正式名称はR−R−1型・陸上歩兵AI。
私は機械は好きだが、兵器は嫌悪している。
R−Rシリーズは軍事用ロボットで、だからその名称で呼ぶのは嫌だった。

「R−R―1。……Rri、ちょっと綴りは強引だがリリィはどうだろう?」
「リリィ、確か花の名前だとデータベースにありますDr」
「うん。そう。どうだろう?」

その時、リリィの体は工具台の上に居た。
首は私と一緒にパソコンデスクの傍らに。
だらりと垂れ下がった無数の赤と青と紫のコード、
冷却液の流れるチューブがリリィの首と胴とを繋いでいた。

「Drのご希望に従います。
今の所有者は貴方です……ですが、その名前で呼んで頂くのを僕はとても気に入ります、恐らく」

首だけのリリィは人口筋肉を動かしてにこりと笑った。
その瞬間、私もこのAIをとても気に入るだろうなと思った。
軍事用AI。命令を遂行するのみのロボット。
それが所有者に意見を述べる。

壊れた歩兵ロボット。頭脳部分に一部損傷があるとして、リリィは廃棄処分寸前で私の元に来た。
意見を言う、人間臭い、ロボットとしては致命的な、壊れかけの電子頭脳。
その笑みは、組み込まれた筋肉を動かすというマニュアルに基づいた機械的なモノではあったが、
非常に魅力的だった。

「恐らく気に入ります、か。そう呼んで欲しいということかい?」
「はい、その通りですDr」
「そうか、じゃあ決まりだね。リリィよろしく」

今だ離れた胴体の腕に手を伸ばすと、手の平が延びてきて私の右手を優しく握った。
リリィの表皮は、冷たいが滑らかで気持ちの良い肌触りだった。




「Drは変人だと村の人々が言っていました」

リリィとの共同生活は2週間目に突入しようとしていた。
人の殺し方と、数十カ国の言語は知っていても、リリィは掃除や調理といった家事全般が出来ない。
資料整理や基本的な機械知識もさっぱりわからない状態で、
仕事のサポートをさせるにも家事をさせるのにもゼロから叩き込まねばならなかった。
仕方が無い。リリィは軍事用ロボットなのだから。

それでも一を聞いて十を知る事は無いが、一度聞いたこと、教えたことは決して忘れない。
ロボットとは、そういうモノだ。
記憶した事は決して忘れない。
だから私とした会話も、三日に一度村に買出しに行く際に村人達と交わした会話も、
リリィは一言一句全て覚えている。


「私が変人?」

思わず咥えていたパイプを口元から外して、リリィを見つめた。

「はい、そうですDr。一日中機械をいじくりまわして、人とあまり付き合いたがらない。
 髭も髪も伸び放題で、家族も居ないようだし―――」
「わかった、わかったからこれ以上の報告は止めてくれリリィ!」

げんなりして遮ると、「はい」とリリィは押し黙った。

やれやれ。
確かに引きこもりの隠遁生活ではあるが、そんな風に見られていたとは。
私の様子を見て、リリィは瞳を細めた。

「Dr、今とても困った顔をなさっています」
「困ったというか、凹んでいるのさ」
「……こういった事は報告しない方がよろしいのですか?」
「できればそうしてほしいなリリィ。
 陰口というのは聞いていてあまり気持ちの良いものではないから。特にそれが自分のことなら尚更ね」
「了解しました。陰口もその報告も、しない方が良いんですね」
「うん。まぁ君が人を悪く言うとは思えないけどね」
「ええ、そうですDr。僕はロボットですから、人の悪口を言うような設定はされていません」



自分を『ロボット』と自覚しているリリィだったが、その行動は明らかに普通のソレとは異なっていた。

それは近くの村民から頼まれたトースターの修理をしている時だった。
長年愛用されていたのだろう。元の色が判別出来ないほどに、メッキがはげ黒光りしていた。
分解しようとしていた最中、古びた螺子の先端が私の指先を少しかすった。

じわりと血が滲む。自らの不注意に軽く悪態を付いた私の手を、いきなりリリィが掴む。

「リリィ?」

訝しむ私をよそに、リリィは全く持って予想外の行動に出た。
パクリと、私の指を己の口に咥えたのだ。

「………一体何のつもりだい?」

一瞬何がどうなったのかわからなかった。ぽかんとしながら尋ねると、リリィは首を傾げ答えた。

「いえ、指が出血した時はこうするものだと。違ったでしょうか?」
「……こうする物ではあるけど、いったいどこでそれを?」
「パン屋の女将さんです。彼女、いつも高温釜を使うせいか指先にケガをしているんです。
 それで出血した際に、指を咥えていました」

とりあえず、出血した指を口に含むのは本人だけだ。
血液の付いた指を他人の口内に入れるのは、衛生面的に非常にヤバイと教えておいた。
食事をしないリリィの口内には唾液腺も無いし、湿り気もないので雑菌の心配はないだろうけど。
軍事用のAIが、人の怪我を気遣う。……気遣い方は大きく異なってはいたが。
明らかに、リリィは普通では無い。

成長していた。
人の行動を見て学習し、誰に何を命ぜられなくても、学習したことを実践する。
明らかに「成長」だった。

ある時は、着替えようと白いシャツを広げると、そこによくわからない刺繍が施されていた。
幾何学的で、原色的。

「リリィ。一体コレはなんなんだ!?」

お気に入りのシャツを台無しにされて、半ば怒り心頭で詰め寄るとリリィはしれっとして答えた。

「それは花です」
「……は?」
「村の人が、Drの服は少しシンプルすぎると言っていました。
 だから刺繍を覚えたのです。それは向日葵です」 

……向日葵はショッキングピンクだった。

「前にDrは人の陰口を自分には報告するなと言っていましたね?」
「そうだ」
「Drはいつも同じ服で、着たきりスズメだ。
 白いシャツとカーキ色のズボンだけでは質素で陰気に見えると皆さんが言っていました」
「それは陰口じゃ――」

私の抗議を、リリィは首を振って違うと答えた。

「これは感想ですDr。村の皆さんがDrにそう伝えてくれと。
 僕もそう思っていました。表立ってきちんと伝えれば、陰口ではありません」

とうとうリリィは屁理屈まで言うようになってきた。

「わかった……。シャツにきちんとアイロンかけて、ズボンの中に裾を入れる。ベルトも使う。
 ちゃんとした格好を心がけるよ。だから、刺繍は止めてくれ!」
「わかりましたDr。でも困りました」

何が?と問うと、リリィは私のシャツを見つめて肩を落とした。

「Drの為にと刺繍を村の女将さん達に教えてもらったのですが。無駄になってしまいました」
「……別に私の服じゃなければ、構わないぞ?折角覚えたんだし」

この人間臭いAIがどういう刺繍を施していくか、非常に興味は有った。
ショッキングピンクの向日葵(のようなもの)は二度とゴメンではあったけど。

刺繍や被服ならば、一定のプログラムを叩き込めばロボットにも出来る。
それでも、リリィは自らの意思で刺繍を習い、
無茶苦茶ではあったが自分で「考えて」デザインを試みたのだ。
リリィは言いつけ通り、私の服以外の物に果敢に刺繍を施していった。
テーブルクロス、カーテン、ベットシーツ。
ごちゃごちゃして形を得なかったそれは、どんどん上達していった。
中でも最高傑作は、料理の際にリリィが使うエプロンだった。可愛らしいクマ。
くりくりした瞳は小さなボタンで出来ていて、
リリィは完成したとき嬉しそうにそのエプロンをして村まで見せに行ったらしい。

成長し、学習し、考える頭脳。
リリィは確実に人に近づいていった。

だがどう人間臭くても、リリィはロボットで。
急激な成長による弊害は免れなかった。




一週間に一回のメンテナンス。
工具場でリリィの頭部と胴体を外し、隅から隅まで調べる。

特に電子頭脳。
リリィの頭脳には、錆びを思わせる白色の物体が付着しており、
それが中を開いて調査する度に増殖している。 
故障の原因とされ、リリィが廃棄されそうになった元凶だ。

「リリィ、また増えているな」

そう伝えるとリリィは「そうですか」と瞳を開けて私を見上げた。

「Drはこのサビが、僕がこういう風になった原因だって考えているんですよね?」
「ああ。普通腐食がこれだけ進めば、どんな人工知能も機能を停止する筈なんだ。
 それでも君は動いている。それどころか能力はどんどん上昇している……」

まるでこの未知のサビと、リリィは共存しているかのようだった。
私は密かに期待していたのだ。このサビが全知能に巡り渡ったとき、
リリィは人と全く同じ知能レベル思考レベルを持ったロボットになるのではないかと。

「それからリリィ。最近急激に知識を詰め込んだせいか、脳内の記憶容量が80%に達しそうなんだ。
 何か記憶を削除するかい?昔の記憶とか……」

それは気軽に発した一言だった。
忘却という作用がある脳と違って、ロボットのリリィにはその機能が無い。
一度覚えたことは、決して忘れない。
定期的に抹消してやらないと容量が限界になり、電子頭脳はオーバーヒートを引き起こしてしまう。

無意識に、私の願望が現れていたのかも知れない。
私は軍事用の、人殺しのロボットが嫌いだった。
リリィが、私の家族同然になりつつあるこのロボットが、昔人殺しをしていたのが信じられなかった。
だからその記憶を消してしまいたかったのかもしれない。

だが、リリィは……。

「Dr、僕は記憶を消したくないのです」

きっぱりと、私にそう告げた。

「……リリィ、容量オーバーになったら君は壊れてしまうんだぞ?
 昔の記憶を消したくないのなら、それ以外の――」
「Dr、Dr!嫌なんです、僕は何一つ忘れたくはないんです」

それはロボットであるリリィが始めて私に、明確に逆らった瞬間だった。



ねぇ、Dr。最近思うんです、僕は何の為に有るんだろうって。
僕は何の為に、有りますか?
最初は僕、R−R−1型・陸上歩兵AIとして作られました。
その頃の記憶は今もあります。こういう風に、思ったり、感じたりすることなんて無かったですけど。
たくさんの人を殺しました。
街を焼きました。
何の疑問も感じませんでした。だって僕はロボットなんですから。
R−R−1型の。
でもある時、一つの命令を貰いました。

毒を撒くのです。

夜遅くに敵国の小さな町に潜伏して、誰にも知られずに町中の井戸に毒を撒くのです。
命令をきちんと実行しました。
たくさんの人が、井戸から水をのんだそうです
今までの命令の中で、僕は一番人を殺しました。
この作戦を考えた上官は特進で出世しました。

その翌日に、僕は上手く機能できなくなりました。
命令を実行しようとしても、上手く身体が動かないのです。
精密検査で僕を調べた修理工は言いました。

「ああ、人工知能がやられてる。こりゃスクラップだね」

それを聞いたとき……何故かは知りませんがとても身体が冷たくなるのを感じました。
僕には温度センサーが内蔵されていますが、気温は暖かかったのに、何故かとても寒くなったのです。
今なら解ります。
怖かった。僕は怖かった。

あれだけ人を殺しておいて、たかだかロボットの癖にスクラップが怖いなんて、身勝手にも程があります。
でも僕は嫌でした。
スクラップになるのも、もうこれ以上人を殺すのも。
その修理工が、面白いAIがあると言ってDrに僕を回してくれなかったら……。
想像するだけでぞっとします。

「リリィはどうだろう?」

今までシリアルナンバーでしか呼ばれなかった僕に、Drは名前をくれました。
嬉しかった。後から本物のリリィを見ました。
白くて綺麗な花。

Drは僕に色々教えてくれましたね?
料理は温かい方が美味しい。
洗濯物は夜には干さない。
陰口は人に報告しない。
本人の許可無く、刺繍しちゃいけない。

村のみなさんも、ロボットの僕に優しくしてくれました。

「リリィは本当に人間みたいだ」

そう言われると、なんだかくすぐったかったです。僕は、ただのロボットなのに。

そして、昔の自分がとても怖いのです。
破壊してきた中に、あれ位の村は沢山ありました。
何も考えずに殺してきた人達は、きっとあんな風に毎日穏やかに生活してきたんだろうって。
そう「考えられる」様になってしまった今、僕は怖くて怖くてたまらないのです。

「……だから、それを消してしまおうリリィ」

瞳を伏せたリリィの頭部に、私は静かに手の平を乗せた。

「嫌な事は忘れよう、リリィ。その記憶を抹消すれば、容量の40%は空く筈だ」

だがリリィは私の提案には答えなかった。

「すいません、Dr。僕、村の人から聞いたんです」
「何を?」
「Drの昔の話。Drのご家族は、みんな戦闘用のロボットに殺されたって」

思わず息を飲んだ。



ほんの5年前まで私は、こんな田舎で一人で引きこもり、機械をいじってばかりの孤独な男ではなかった。
妻と、双子の娘。
友人も沢山いた。
技術的にも、生活面でも、とても賑やかで発展した都会で機械工学の教授をしていた。
毎日、大好きなロボットの設計をし、新たな人工知能の開発に勤しみ……。
何の疑問も持たなかった。
自分が何に携わっているか等。自分の開発した技術が、何に応用されているか等。

技術の中枢であったその都市を、敵国は見逃なかった。

みんな死んだ。

私が作った技術で。
R−Rシリーズは、私の設計を元にして製作された。

私はロボット兵器を嫌う。嫌悪する。
それは私が作った、人殺しの機械なのだ。



「人間は、忘れる事ができる。でもDr、本当に辛い記憶を忘れることは一生無理だと聞きました。
 僕はロボットです、記憶した事は忘れませんが、きれいに抹消することは可能です」

でも、嫌なんです。とリリィは力強く主張した。

「昔の僕も、今の僕も、全て含めて僕です。
 それにあれだけの事をしておいて、綺麗に忘れ去る事の方が……僕は怖い」

「死ぬんだぞ、リリィ。記憶を抹消しなかったら、君は死ぬんだ」

「……困りますDr。泣かないで下さい、
 僕の身体は今あっちなんですから、Drに何もしてあげられないじゃないですか!
 それに僕はロボットなんですから、死にません、壊れるだけです」


結局、私はリリィの意志を尊重した。
何も抹消せずに、頭部のカバーを閉じたのだ。

その後一ヶ月間、リリィは私と共に過ごした。
相変わらず刺繍に勤しみ、三日に一度村へ買出しに行く。

「なぁリリィ。君は強いよな」
「……武力でならDrを軽く殲滅出来ると思いますが?」
「いや、そうじゃなくて精神面で。ほら、前に言ってただろ。
 人間は本当に辛い記憶を忘れることは不可能だって」
「ええ、言いました。不便ですよね……」
「うん。でもさ、時間はかかるけど、忘れられなかったとしても、
 辛い記憶を乗り越える事はきっと可能だと思うんだ。
 そう思える様になってきたんだ。君のお陰で」
「僕が何かしましたか?」

首を傾げるリリィ。もうこの頃には、仕草は本当に人間だった。

「言ったじゃないか。あれだけの事をしておいて、綺麗に忘れ去る事の方が怖いって。
 君は辛い部分と向き合って、そして受け入れる事にしたんだよ、その記憶を」

忘却する事で逃げるのではなく、覚えている。
罪をずっと覚えていて、受け入れる。
それは重い十字架を背負って生きていくという事だろう。

その思考ができるAI。
私にとってリリィは最早ロボットではない。
きっと人以上に完成された、強い精神だ。






それは良く晴れた午後だった。




「今日は天気が良いので、シーツとカーテンとテーブルクロス。とにかく家中の布を洗濯します!」

リリィはそう宣言し、朝から忙しそうだった。
庭中に、真っ白な布が翻っている。リリィの付けた刺繍がカンバスのように描かれていた。
 
たゆたう真っ白な海の中、眩しい空を見上げるような格好で。

リリィは静かに機能を停止した。





「やぁ。久しぶり」

あれから数週間が発つ。

「うん、そうなんだ。そろそろ隠居生活にもピリオドを打とうかなって思って」

リリィの機能停止を聞いて、村中の人が悲しんでくれた。

「いや、そっち方面の研究はもうしないよ」

まるで、お葬式の様だと村の教会の神父が苦笑いしていた。

「新しくAIの開発を……送ったデータは見ただろう?」

だってリリィはまるで人間の様だったもの、と誰かが呟いていた。

「危険性は重々承知だよ。
 でもさ、人の命令を聞くばかりではなくて、人に教えてくれるAIも有って良いじゃないか」

数年ぶりに、機械工学時代の友人の一人に連絡を取った。

「ああ。本人が言ってたんだ。僕は死ぬんじゃない、壊れるだけだって」

来週から、私はまた機械工学の生先端で研究を開始する。

「ああ、直すよ。いや『治す』だな。うん、じゃあ久しぶりに君に会うのを楽しみにしているよ」


何かの為だよリリィ。
湯気の立つスープとか、真っ白いシーツとか、エプロンの可愛いアップリケとか。
下らないけど、何か尊い暖かいモノの為に君は居るんだ。
確実に君はその為に有ったんだ。

答えを、私は君に伝えたいんだ。



END








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