舌の上の背徳1


 

 

教会・T

 

ステンドグラスを通して、春の暖かな日差しが入り込んで来る。

時間は午後3時といったところか。教会の中はしんと静まり返っていた。

「あ、ふぅ」

シスター・クラリスは欠伸をかみ殺し、涙の滲んだ瞳をこすりながら呟く。

「嗚呼、主よ……暇です」

彼女は教会の隅の一角、懺悔室と名づけられた小部屋にもう2時間も座りっぱなしなのだ。

 

懺悔。

神の前で今までの罪を告白し、悔い改め、改心すること。

自分の罪を悔い、他人に告白すること。

 

迷える人々の胸の内や苦しみ・罪等を共に分かち合い、
主にお慈悲と哀れみとお許しが頂ける様に祈る。

尼僧であるならば、至極当然で重要な職務であることは解ってはいるのだが

『あーもうワタクシってとっても罪深いのよ!
息子の嫁が愚鈍でこんな言い方はいけませんわね。
鈍くてノロマで愚かでついつい頭にきちゃいましてね。
でも何言っても息子は嫁の味方だし。で、昨晩遂に爆発してしまいましてね、
真夜中に嫁のベットにネズミを放り込んでやりましたの。
あぁ、あの悲鳴。今思い出しても胸がスッとしますわ……ではなくて、
何て酷いことをって反省してますのよ!ホントにホントに!
神様はワタクシを許して下さいますでしょうか?』

だ、大丈夫です。一緒にお祈りしましょう、神はきっとお許し下さいます。

『聞いてくださいよ、シスター。ゥイッ、うちの亭主!
昼真っから酒ばっかり飲んで私には偉そうに指図ばっかり!
だからね、私あの人に復讐してやることにしたんだよ。
あの人の秘蔵のブランデーを全部飲んでやってさ、ヒック。
代わりにどくだみ茶を詰めておいてやったのさ!
でもそれをした後に、あぁ、これって盗みじゃぁないか!って
恐ろしくなってさぁ……ヒックぐぅぐぅ』

大丈夫です。一緒にお祈りしましょう、神はきっとお許し下さいます
……あの、失礼ですが酔っていらっしゃるのですか?あの寝てらっしゃいます?

『し、シスター。お、俺いけない子なんだよ。
ヤバイ事が気になって気になって………あんたのさぁ、ししし、下着、何色だぁい?
ハァハァ』

主、主よじゃ無くて、警察をー!!!

懺悔室に座るようになって一週間、こんなのばっかりだ。

しかも人が訪れない間もずっと待機していなければならない。
どんなに退屈で、春の陽気が暖かくて心地よくても、一応奉仕の最中なのだ。
主に仕える身で居眠りなど許されない。

ただでさえ狭い懺悔室はお互いの顔が見えないように
薄い板で(もちろん声が通るようにと空気穴程度は開けてある)仕切られている。
故に圧迫感は絶大だ。

友人のシスター・ロザリアが職務を代わってくれと必死に頼み込んで来たのは
こういう事だったのか、とクラリスはため息をついた。

こんなことなら、孤児院の寄付金募集のバザーで売る毛糸のコースターを
一日中編んでいたほうが楽だった、と再びため息を吐こうとしたクラリスの耳に、
教会の扉が開けられる音がした。

この時間にミサは行われていないし、その人物は同僚のシスターの物では無さそうだ。
修道院では衣類は全て支給なので、皆同じ靴・同じ足音になる。

引きずるような重い足音、ブーツの、恐らくは男性だろうか

その人物は何か迷うかの用に教会内をうろついた後、懺悔室の前で止まったようだった。
ためらいがちに、扉が2度ノックされる。

「どうぞ、お入り下さい」

クラリスが告げると、低い、小さな「失礼します」の言葉と共に、
部屋の向こう側に人の入ってくる気配がした。

声から察するに、やはり男性のようだった。

 

さぁ、今日初めての迷える子羊の来訪である。

 

「私に、神にすがる懺悔をする資格など無いのですか構わないのでしょうか」

席に座り、開口一番に男はそう切り出した。随分と謙虚な姿勢である。

男性だし、また下着の色は〜?と切り出されやしないかとビクビクしていたクラリスは
ホッと胸を撫で下ろした。

「神は資格等問われません。皆、神の子供であり家族ですからどのような方でも
大丈夫です」

クラリスの答えに男は深く安堵したかの様だった。

「良かった。心配だったのです、私は実は洗礼さえ受けていないものですから
教会に来る事など許されないと思っておりました」

洗礼を受けていない。
それにクラリスは思わず目を真ん丸くして驚きの声を上げるところだった。

生まれて直ぐ、子供がすることと云えば母親のお乳を吸うことと、
洗礼を受けることである。
洗礼を受けていないものは神に認められず死んでも天国へ行けず、
その哀れな魂は永遠に地獄を彷徨うと昔から伝えられ、
またそれが今も尚深く信じられている。

 もし抵抗力の弱い赤ん坊が洗礼を受ける前に、流行病にでもやられてころりと
逝ってしまったら大変だ。
故に大人たちは子供が生まれると急いで産着に包み教会へと連れて行くのだ。

 周りが熱心なクリスチャンという環境で育ち、尼僧に成る程信仰心の強いクラリスに
とって、洗礼すら受けていない大人と接する事は初めてであり、驚きだった。

「あ、あのっ、すぐに洗礼の準備を整えますっ!」

今にも懺悔室を飛び出して司祭を呼んで来そうなクラリスを、男は静かに制した。

「いえ、構いませんシスター。私は洗礼は受けずに一生を終えるつもりなのです」

「で、でもそれでは貴方の御霊は……

「ええ。永遠に暗い場所を彷徨う事になるのでしょうね。
でもそれで構わないのですよ、シスター。
私が主の御側に逝くことなど、もう許されないのですから」

まるで全てを悟りきったかのようにあるいは全てを諦めたかのように、
男の口調は不思議と穏やかで、静かだった。

「そんな事はありませんわ!主は全ての罪をお許し下さいますよ?」

「私はそうは思えないのです、シスター。それほどに私のしたことは罪深い
私が教会へ来たのは私の所業を余すことなく主に知って頂いて、
罰をお与え下さるようにと願っているからなのです」

聞いて下さいますか?長くなりそうなのですがとおずおずと尋ねる男に、
クラリスは力強く頷いた。

「どうぞ、全てをお話下さい」

 そう、ただでさえ暇だったのだ。時間はたっぷりとあるし、
クラリスはだんだんとこの男に興味を持ち出していた。

洗礼を受けていない生い立ちそして神さえ許さない罪とは一体何なのだろうか?

「ありがとうございます。何から話して良いのか

そして、男は静かに語りだした。






前へ    次へ









Home   Novel


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送