彼女が居なくなると辺りは深海のような静けさに成る。ってまぁ、実際此処は深海なのだが。
鴫教授は再び計器と向き合い、なにやら難しい顔で自分の仕事に没頭し始めた。
俺は丙号の船体に異常な箇所がないかのチェックをする。
先ずは、丙号の前方・中央(こちらがメイン。電気・通信ケーブルもセットされている)・後方に取り付けられた三本の超極太のワイヤーロープの点検。
これは遥か12000メートル上、七瀬工業の母船に繋がっており、
浮上の際はこれを巻き上げてもらうといった仕組み。
このワイヤーは丙号にとっての文字通り命綱って訳だ。
それから計測器から得たデータや、二人の教授の採った資料などを
経過報告としてまとめて母船に転送する。
『休憩に入った木々那教授と交代したところです。
今の所、船体・計器・酸素残有量・乗務員の体調何ら問題ありません。
順調に作業を進めており――――――』
両教授のファイルの容量のでかさにちょっと驚きながらも(特に木々那教授、
遊んでいるように見えて一応仕事はしていたらしい)報告作業終了。
一息吐いていると、丙号の窓の外に一瞬サーチライトの光が映った様な気がした。
「おや、甲が戻ってきたんですかね?」
鴫教授も気がついた様で、作業の手を止めて俺と同じ方向を眺めている。
「いえ、このライトは乙ですね、きっと」
乙姫丙号には、二機の兄弟船がいる。
深海生物や地形を撮影するために超高性能の耐圧仕様赤外線カメラを備えた『甲号』と、
鉱物や動植物の採集を目的とし、三本のアームとゲージ、
最高9.5キロ先まで生態反応を感知できる装置を備えた『乙号』だ。
両機は無人探査線で、操作は主に本船で行っている。
「でも、おかしいですね。この時間帯は本当なら乙はもう少し深い部分の調査を
行っている筈んですが…」
そう言いかけた矢先、丙号内になんとも賑やかな音が鳴り響いた。
多分、若い連中なら誰でも知っている歌の、あの旋律。
『ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない』
苦笑いしながら鴫教授が呟く。
「いやぁ……未だにこの通信機の呼び出し音には慣れませんねぇ」
「すいません、会社の上役の趣味でして…」
トレイン・トレイン走ってゆけ、トレイン・トレインどこまでも♪
と、あの有名なサビが流れる前に俺は通信機のボタンをオンにする。
その途端に皮肉の色タップリ、掠れ気味の声が飛び込んできた。
『いよぉ、黒江。まだ生きてたか!
そろそろ浸水して死ぬころかと思ってたのによ。ケケケケケ!』
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