満月の夜の歌姫10



ライブの前列にいた子達だ。
かなり派手にあたしのブーイングをしていたから覚えている。

「急いでいるから」
「調子に乗ってるんじゃないよっ! ブース!!」

てめぇこそ、その濃い化粧はなんだよ!
喧嘩売りたい気持ちをぐっと押さえる。
さすがに女の子に手を出す気にはなれない。

「あんたのせいで、バンドがバラバラになっちゃったんだからね!」
「どうしてくれんのよっ! カズが、カズがいなくなっちゃったよぉー」
どうしてくれんのよって、あたしに言われてもなー。
「あんたなんか絶対認めないからねっ!」
「別に認めてもらう必要ねーよ。あたしはこんなバンド入らねーもん」
「こんなバンドですってぇ!?」

……あ、しまった。

体を壁に叩き付けられた。
高頭部押さえる前に、マニキュアがきれいに塗られた手が6本も伸びてきた。
そのうちの一つが髪の毛を掴み揺さぶる。
ウィックを外されるわけにはいかない。
あたしは必死に高頭部を押さえ付けた。

「信じられない! なんであんたなんかが音一筋に入るのよっ!?」

だから、入らないんだってば!
それを言うとまた怒りそうだったので、大人しく黙る。

「カズを返せっ、カズを返してよぉ!」

女というのは怖い。
重点的に顔を狙ってくる。
しかもパンプスで足を踏まれたら、かなり痛いし、アザが残る。
爪は長いし、充分凶器だ。
引っ掻き傷を作らないように顔を庇おうとするけど、
ウィックが外されないようにするので精一杯だ。

ピシっと頬に熱が走った。
やられたな。
さすがにぶちきれそうになる。

「エイも信じられない! なんであんたなんかを音一筋に入れるのよっ!!」
「……俺がどうかしたか?」

女達の手が止まる。

「エッ、エイ……ッ!」

助かった……だけど、ありがたみなんてもちろんない。
原因はすべてこいつなんだから。

「……あたし達………っ」

男がジロリと女達を睨む。
そうなると言葉なんて出てくるわけがない。

「謝れよ……」
「……だって」
「だってじゃねーよっ! 人を傷つけておいてごめんねの一言も言えねぇのか?
 …………最低だな」

女達は今にも泣き出しそうだ。
居心地が悪い。

男の手が不意にあたしの頬に触れた。
「……血が滲んでいるじゃねーか」

傷口が熱をもっている。
あたしはその手を払う。
誰のせいだよ!?

「責めるなら、こいつじゃなくて俺だろ?」
そうだよ! よく分かってるんじゃねーか。
「ご……ごめんなさい………」
三人仲良く頭を下げる。
だけど、
「俺に謝られても困る」
……あたしに謝られても困るかも………。
それでも女達はしおらしく謝った。

「俺たちのことをほんと愛してくれてるのは分かるけど、もうやめてくれよな?
 あんたらが俺たちのことが大切なように、俺たちもあんたらのことが大切なんだ。
 だから、こういうことはして欲しくない……」
「エイ……」

………………。

女たちは感動で目を潤ませている。

「じゃあ、遅くなるからもう帰んな。
 あんたら美人の三人組がこんな遅くまでほっつき歩いているかと思うと、
 俺、心配で落ちつかねーよ」
女達は頬を染めて帰っていった。

「……タラシだねぇ」
いつのまにか、タケさんがやってきてポソっと呟く。
あたしも頷いて、ジトーとした視線を男に送る。
「お前ら……」
「本当のことだろ」
「お前をタラシと呼ばないで誰をタラシと呼ぶんだ?」

……あ、そうそう、きっちりカタをつけないと。

あたしはクイクイと男の注意を指先に引き付けた。
「何だよ?」
バシーーーン!!!
手首を捻らせて思いっきりビンタを打つ。
タカさんが口笛を吹き、男は見事なもみじ跡のついた頬を押さえる。

「いってぇぇぇ!!!」

「あんたの大事な仔猫ちゃん達に手を出さなかったんだから感謝しな!」

血の滲んだ傷口に触れる。

なんて言い訳したらいいんだよ……。春子さんうるさいんだからなっ!
あたしは最悪な気分でライブハウスを後にした。






「まぁまぁ、どうしたんです?」
「あら、どうしたの?」
私はしゃあしゃあと言った。

春子さんが鏡を持ってきて私に渡す。
私は知らぬふりで鏡を受け取り、覗く。
思ったよりも切り傷は長く、うっすらと赤みが目立っていた。

「いつの間に引っ掻いたのかしら……」
「気をつけてくださいよ。お嬢様の美しい顔に傷でも残ったらどうするんです!?」

おおげさな、と思いながらも、昨日のブス発言でふてくされていた気持ちが和らいだ。

「ありがとう、気をつけるわ」

ミルクたっぷりのカフェオレが置かれた。
「ありがとう」
私はカフェオレを飲みながら、いつもの通り新聞に目を通す。

「……そういえば、次の満月の夜は晴れかしら、雨かしら? 春子さん、分かる?」
「次の満月の晩……ですか?」
「ええ、再来週よ」
少々お待ちください、と、春子さんは受話器を取った。
「雨だそうですよ」
「……そう」

相槌はため息のようだった。
安堵。
同時に肩透かしを食らった気分。

「どうしたんですか? 何かあるんですか?」
「いえ、この間の月がとてもきれいだったから、また見たくなっただけなの」
「残念ですね」
「ええ……本当に残念………」

雨が降ったら、あの男は私を諦めてしまう。

安堵するべきなのに、私はこの空虚さはなんだろうか。

「お嬢様?」
「なんでもないのよ。なんでもないわ」


…………あの男に会ってから、私のペースは崩れっぱなしだ。




 

 

 


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