満月の夜の歌姫3


 

 

男は一ノ瀬栄司と名乗った。
あたしは別に聞いてないって!
それから500メートルほどしつこくついてくる。
お前は犬か!

「ワン。口に出してるぞ」
「うるせっイヌ公!」
「犬って例えられたのは初めてだな。
『あなたって誰にもなつかない猫みたい』とか『空腹の狼みたい』とか……おっと、これはお子様には
刺激的かなっと」

ニヤニヤ笑いがむかつく。

「黙れオジン!」
「オジンって……これでもピチピチの24歳だぜ」

無視。

ピチピチって死語を使うな! 男のくせに!

「なぁなぁ、お嬢ちゃ〜ん、ルナちゃん、ルナさん、ルナ様?……ん〜女王様だ」

あ……頭痛くなってきた。
この男どこまでついて来る気だ?

世の中のためになる、腐った野郎のタマ潰しを邪魔した男は、あたしの渾身の一撃を受けた後、
切れた唇でニヤリと笑って言った。

「組まねぇ?」

却下!

自慢じゃないけど、そんな誘いは山ほど受けている。
全てノー!

「……あんたが欲しい」
ハスキーボイスに生理的に背筋が震える。

……この男、性質が悪い。

「諦めろ」
「冷たいねぇ、ルナちゃんは」
「馴れ馴れしく名前を呼ぶんじゃねぇ!」

いい加減、こいつをどうにかしないと家に帰れない。

……撒くか。

しばらく歩いたところに交番がある。
あたしは走り出した。

「誰かぁ〜、助けてぇぇぇ! 痴漢、痴漢ですっ! 助けてください〜〜〜!」
「お、おいっ!?」
慌てる男にニヤリと笑うあたし。

おまわりが出てきた。
男はおまわりに取り押さえられた。

じゃ、あとはよろしく〜v

「き、君!?」

あたしは走るスピードを上げた。
チラリと時計に目を落とすと午前1時。

やばいなぁ。
電車がない時間帯。
あたしん家は渋谷区から歩いて帰れる距離じゃない。
だから、渋谷にあるピアノの先生の家にいったん向って、そこから先生に自宅まで送ってもらうんだけど……。
どうしよう〜。
先生が酒を飲んで寝る時間だよ。飲酒運転は今更だけど、起こすと怖いんだよな。

………あの男がしつこく付きまとうから!

「待ちやがれーー!」
ゲッ! あいつ、おまわり振り切って追ってきやがった!

あたしはさらにスピードを上げた。
何度も角を曲がって巻こうとするけど、スッポンのように喰らいついてくる。

きっ……きつぅ。
も、だめ……。

あたしは足を止めた。
地面に座り込み、ゼィゼィ喘ぐ。
温い空気が肺を満たす。
咳き込むと涙が出た。

苦しい、肺が痛い……。

あたしは目を瞑った。

「……あんたはずっとこのままでいいのか?自分の歌をもっと多くの人に聴いてもらいたくねぇかの?」

すぐ側に気配を感じる。

男のセリフにあたしはせせら笑った。

振り返り、男を見る。
男の目が青いことに気付いた。
綺麗な目だな、と何気なく思う。

「あたしは叫びたいだけ。叫びに相手はいらないだろ?」

男は黙り込んだ。
やっと諦めたか。
あたしはヨロヨロと立ち上がり、歩き出した。

が、

「……っ!」

角を曲がる直前、壁に追い詰められていた。
男は笑っていた。

あたしの頭でガンガンに危険信号が鳴り響く。

うるさいっ! うるさいっっ!
逃げ出さなきゃ!

なのに、男の青い目に、切長の目に縫い止められて体が動かない。

左目の下の泣きほくろ。
女は情深いと言うけれど、男の場合は性が悪い、と聞いたことがある。

……ああ、そうだ。

獲物を無邪気に持て遊ぶ猫のよう、歯を見せて唸る狼のよう。
あの例えは確かに当たっていた。

声さえも自由になれず、あたしはただ喉をコクリ鳴らす。

「かっこいい女だな。ますます欲しくなった」

「……放せ」

気を抜けば膝が地面についてしまいそうだ。
震える声があたしをちっぽけな存在だと痛感させる。

「歌おうぜ」

喉が鳴る。

「……分かった。その代わりもうあたしに付きまとうな!」
「いいぜ。あんたは絶対癖になる。……世界一番気持いいことをしようぜ」

夜でよかった。


顔が熱い……。

 

 

 


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