満月の夜の歌姫5


 

 

「椿様、おはようございます」
……私はあんたの雇い主か、なんて思いながらも、
「おはよう」
とにっこり微笑む。
その横からも他の子が、
「おっ、おはようございます、椿様っ! い、いい天気ですね!」
「おはよう。ええ、本当にいい天気。すがすがしいわ」
学校の最寄駅から学校、教室に入るまで、あちらこちらから挨拶が飛んでくる。
私は微笑を崩さず、軽い会釈を繰り返す。
長い髪をつぃっとなぜると、周りから感嘆が洩れた。
「素敵ね……」
「ほんと憧れちゃうわ」
コソコソ囁いているつもりだろうけど、聞こえるのよ。
私は心の中でそっと溜息をついた。

超お嬢様学校はいつもこんな感じ。
お嬢様学校と言っても、最近は中流家庭の入学者が数を占めるところとかもあって
ピンキリだけど、間違いなくここはピンだ。

朝からしとやかで甘い花が咲き乱れて息苦しい。
帰りの挨拶はもちろん「ごきげんよう」。
それに、私は生徒会長なんて難儀なモノをやっているから、
忙しい時は放課後どころか昼休みも生徒会室に缶詰状態。
さらに、家ではお稽古事が山ほど待っていて、さらに授業の予習復習は欠かせないし……
ね、ストレス溜まるのわかるでしょ?

しかも、夢見るような視線は、私に溜息もつかせないし、怒ったりするなんて言語道断、
いつもにっこり口角を上げ微笑んでいる状態を強要する。
私がルナになるのは必要なことなのよ……なんて、言い訳してみたり。
結局はここから抜け出そうとしない私がいけないんだけどね。

そんな私をバカにするかのように、頭の中でギターの音色が鳴り響く。

忘れろ、忘れろ!
あんな男っ!
思わず、目元がきつくなってしまったらしい。

「ど、どうかされました?」
「何でもないわ。ここのところ雨ばっかりで、久々の太陽が眩しいわ……」

………疲れる。
重い、眠い、最低な気分。

体の奥底で苛立ちが燻っている。
なぜ、私はここにいるんだろう? 
今すぐ学校を飛び出して歌いたい!


いつもなら、満月の翌日はすっきりといい気分なのに……。
原因はわかってる。
ああ、なんであの男に出会ってしまったのか。
昨夜のことが忌々しく思い出される……。

 

 

 

 

あの後、男に捕まってしまった後のこと。
あたしは歌う場所がないか?と聞かれたから、近くの公園に連れて行った。

わりと広い公園で、球技をするスペースに、子供達が遊ぶアスレチックのあるスペース、
その周囲を散歩コースがグルリと囲っていた。

住宅地の中のオアシス。
ここならアンプを持ってきて演奏しないかぎりは騒音にならないだろう。

男は紫色で和風の模様が入ったギターを取り出した。

「俺の三人の恋人のうちの一人」
「人間の恋人はいねぇのかよ……寂しい野郎だな」
「気になる?」
「誰が! さっさとチューニングしろよ!」

男は弦を弾きながら、チューナーを締める。
ムカツクほどギターを持つ姿が似合う男だ。
一瞬、「ティファニーで朝食を」で、オードリーが窓辺でギターを弾く姿と重なった。
おいおい……夜だぜ? っていうか男だし。あたしの頭は血迷ってしまったらしい。

「何が歌える? モー娘。とかあややとかオススメだぜv 
 リクでボサノバ、ジュリアナ、ハワイアン風などなど受付中v」

「………帰る」
「あー、嘘嘘、帰っちゃ嫌よ。ルナちゃんv んで、歌える曲は?」

イタリア歌曲集、モーツァルト、プッチーニ、トスティを少々、なんて言ったら
この男はどんな顔をするかな? 
ちょっと試してみたいけど、

「ビートルズ」
これは父が好きだから全アルバムが置かれている。
それ以外のポピュラー曲は知らない。
「いいねぇ……」

男が弾き始めたのは誰もが知っているレットイットビーだった。
あたしは体を奮わせた。
何気なく始まった音に。
静かでありながらも、冴え冴えとした音をしている。
ビートルズの音楽は派手なテクニックがない。
コード進行もけっこう単純だ。
だが、不意をつくように光る和音が入る。

そういうところもちゃんと表現した男のビートルズにあたしは聴き惚れてしまった。

「何だよ、歌わねぇのかよ?」

あたしは歌えなかった。
声が震えてしまいそうだったから。
あたしが臆していること、この男には絶対に気付かれたくない!

「……歌詞が曖昧なんだよ」
「ふーん、じゃぁ、歌詞を覚えているのは?」
「………ない」
しょうがねぇな、と男が笑った。
あたしは俯いて男から顔を隠した。

「いつものようにテキトーに歌えよ」

男がギターを弾き出した。
アンプがないのに、啜り泣くような音色……。

どういうテクニックをしてるんだ!?
ちくしょー。

男の音楽に乗せられて体が勝手にリズムを取り始める。
男がそれを横目で捕らえ、口を吊り上げる。

ムカツクムカツクムカツク!

だけど止められない。
やっぱりミューズは悪趣味らしい。最低な奴にほど美しく微笑む。
男の音色が体をくねらせ、誘う、娼婦のように。さっきのビートルズと違い、
すごくいやらしい音。


手を差し出された。
あたしは飛び込む。


「Ah ――――― !!!」

叫んだ。

 

 

 

 

 

 


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